今日人類が初めて木星についたよ
ピテカントロプスになる日も 近づいたんだよ
わけわからない歌詞です。木星とピテカントロプスに何の関係が。
これからすぐに連想するのは 2001 年宇宙の旅ですが、どうも違うっぽい。
というわけでいつも通り PC に向かい、検索。
……。
いやあ、Youtubeって便利っすね。まあ法的にはアレかもだけど、視聴だけならごにょごにょ、……。
しかしなんですな、どう見てもコミックバンド。というか怪しげ過ぎるって、この人たち。
こうなると歌詞も適当に思わせぶりなことを書き散らしただけではという気になってしまいます。
ヒット当時もこんな風に感じ、しかしそれだけではない気もしてずっと心の片隅に引っかかっていたわけですが。
ゆるーく明るく投げやりで退廃的な曲調。何か実にバブル時代っぽいというか、真夏のたそがれのじっとりと蒸し暑いけだるさというか。
適当なんだか計算されてるんだかわからないというか。無邪気さを装う様があざといというか。
聴けば聴くほどなんだかわからなくなってきます。
とにかく人類の進歩と退化にかかわる何かであるかであることはわかります。
猿になりたくないのだから、自然に帰れ、エコロジー万歳! の類の薄っぺらいものではないこともわかります。
といって、科学技術はすべてを救う、みたいないまどき流行らないメッセージももちろん入っていません。っていうかそんなの 70 年代までか?
全体的には適当に明るいのに、全体からなぜか破滅のにおいが感じられます。
壊れた磁石を 拾い集める
磁石というのはまあテクノロジーの象徴でしょうから、壊れたそれを拾うというのは……まあそういうことでしょうね。
いや、でも木星は? いったい人類に何があったの何が(汗 てゆーか「あの子」と「ぼく」はいったいどうなってしまったの!!!!?
とか思ってしまいたくなりますが、どうしたもんでしょう。
困った。
まあ、ここで答えを出す気なんて毛頭ないわけですが、一応何らかのオチをつけておく必要くらいはあるわけで。
……考え中……。
安易に考えると、テクノロジーが発達しまくったあげく、核戦争でわやくちゃになった世界、それでもあきらめずに文明のかけらを拾い集めて生き延びようと苦闘する人々……みたいな感じになるんですがねえ。いや安易過ぎるなあ。それだけじゃわざわざ独自に解釈する価値ないし。
木星にモノリスがあって人類が新たな進化のステージに、ってな話ではないのは確かですけどねえ。
二酸化炭素をはきだして あの子が呼吸をしているよ
曇天模様の空の下 つぼみのままで揺れながら
あの子は花火を打ち上げて この日が来たのを祝ってる
冬の花火は強すぎて ぼくらの体は砕け散る
ブーゲンビリヤの木の下で ぼくはあの子を探すけど
月の光に邪魔されて あの子のかけらは見つからない
……あー、なんか歌詞を全引用してしまいそうな勢いですが、それはそれとして。
「あの子」って何者で、どうなったんでしょう。砕けたからって死んだとは限らないし。でもまあ「ぼく」は「あの子」を失ったんでしょうな。
というか、ですね。冒頭で「ぼく」は骨になってしまってるような気がするんですが。何をどうやったらかけらを探すなんて芸当ができるの。
上で「花火」は核兵器と安易に解釈したわけですが、ちょっと違うかな。科学技術的な何か、そしてその暴走。いやむしろ「あの子」自体がテクノロジーの象徴か?
すると「ぼく」が人類?
とすると。
高度に発達したテクノロジー。だがそれは環境を汚染するなどまだまだ未熟で、完成にはほど遠い(そもそも完成などということがあるのか)。
人類はそれとともに前へ上へと進みつづけるが、薄氷を踏むがごとき不安定な行程であった。
いいの、このままで?
何か見直したほうがいいんじゃないの?
いやまあ、人類は生物の枠からはずれて遺伝子からミームの進化に乗り換えてしまった以上、何があっても先に進むしかないんだけどさ。
でもさ。
踏み外しちゃうよ?
猿になるよ、このままだと?
って感じなのかなあ?